第2節 「子どもが未来を生きる」
未来の担い手に敬意を持つ
10歳が10年後にはハタチになります。ハタチが10年後には三十路になります。10年もあれば、子どもは成人となり、成人は家庭を築いたり、プロジェクトの中心を担うようになり、文字通り社会で活躍するようになります。そしてそんな大人達がその時代を生きるだけでなく、その先の未来をつくる担い手となります。“つくる”といっても、必ずしも0→1をつくり出す”開発”ばかりではありません。むしろ、過去からの土壌や材料をもとに積み上げる”建設”に近いでしょう。その意味で、未来とはタイムスリップした先の地点ではなく、連綿と続く今の積み重ねです。
そのため、今目の前にいる子どものひとり一人は決して「大人の小さい版」ではありません。「未来を建設する担い手」です。そう遠くない未来において、私やあなたを遥かに越えていく存在であり、血縁関係や信頼関係の有無は関係なく、等しくそこに敬意を持って接することが好ましいと考えます。
過去と今を未来につなげる教育
ここで紹介する「不易流行」とは俳諧人、松尾芭蕉が残した考え方です。
俳諧には不易(永遠に変わらぬ本質的な感動)と流行(ときどき新味を求めて移り変わるもの)とがあるが、不易の中に流行を取り入れていくことが不易の本質であり、また、そのようにして流行が永遠性を獲得したものが不易であるから、不易と流行は同一であると考えるのが俳諧の根幹である。
教育でも同様のことがいえるでしょう。過去の踏襲だけではままなりませんが、今も昔も重んじられてきたことを身につけることは避けられません。また流行を追うだけでは心許ない一方、時代に合った学びも得ることもまた肝要です。過去と今を分断しないようにバランスをとることが大切です。
“今”を生き抜くチカラ
科学革命の真っただ中にある現代社会において、「自分を見失わずに”今”を生きる」ことは、昔よりもはるかに難しくなっています。スキルの習得に傾倒する前に人間性、心を育むことを忘れてはなりません。
自己肯定感
近年ひと際注目されているのが非認知能力(数値化しづらいチカラ)の代表例のひとつ、”自己肯定感”です。「ありのままの自分にも価値はあると受け入れること」を指す言葉であり、まさに自分を失わないためのチカラです。ジュニア教育に携わっている今日、このチカラが非常に重要であると常々感じます。自己肯定感の低い子は二言目には「できない、やりたくない」と口にし、集団にうまく馴染めなかったり、勉強・スポーツ問わずあらゆる場面で自ら機会を損失します。これが、年齢を重ねた先で困ったことになってしまうのは想像に難くありません。この自己肯定感は、後天的に改善が可能とされており、育むコツについて簡単に3つまとめておきます。
1.継続を褒める
挨拶の励行や靴の整理整頓など、不易流行の考えに即した教えを受けた言動の変化・継続を認める
2.不可能の許容
起きた過去や他者との比較などを受け入れる
3.可能性の模索
自分の裁量下にあること、努力で変えられることに目を向ける
些細なことでも確かに他に影響を及ぼしていることに気づかせ、自身のないもの探しではなく、あるもの探しができるように促し、命は有限だけれども存在は否定されないと思えるまで、支援することが大切です。
セルフコンパッション
本書で取り上げたい、もうひとつのワードが”セルフコンパッション(自身への思いやり)”です。
私は前職では中学受験専科の塾で算数講師として勤務しておりました。また現在はスポーツトレーナーとしてセレクションを通過した会員で構成される長友佑都(サッカー日本代表選手)アカデミーや、プロラグビーチームが運営する横浜キヤノンイーグルスアカデミーなどで定期指導を行っております。
それらのお仕事を通して、比較的上昇志向の強い子ども達と多く接してまいりました。中には自らをストイックに律することのできる子との出会いも少なくありませんでした。「今のままじゃダメだ」と、自身を俯瞰できる姿に大人を感じさせるものの、自身を傷つけやすい姿に危うさや脆さを感じました。ネガティブな評価と人格否定を組み合わせることは禁忌といえますが、子ども自身ではその違いを把握しきることは難しいです。”ダメ”と感ずるのは、自分との理想や誰かと比べた時、あるいは家族からの期待などとの”乖離”に気付いた時に抱く劣等感の類いと予想します。
この時、周囲の大人には子どもに対して、「決してあなたが”ダメ”な子というわけではない」と、しっかり・ハッキリと伝えてあげていただきたいです。そして、思いやりのある言葉を自らチョイスできるようになるまで、やさしい声かけを続けていただきたいと願います。