3-4③ 「習い事」から考える教育
習い事の選び方
現実的な順序としては、①親が用意した選択肢の中から②子どもが選ぶようになることが大半です。子どもが自ら希望するのが一番ですが、子どもの持つ数少ない選択肢から子ども自身が選び、ハッキリと主張することは難しいでしょう。そのため親が支援する姿勢をもって、ある程度の精査の上、まずは体験させてみるという順序で良いと思います。
この時に注意したいことは”サービスから考えない”ことです。あくまで家庭の教育方針を主として、流行や指導者の実績、教室の歴史などに振り回されずに判断することで辞め時も考えやすくなります。
例えば”水泳教室”に通わせる時に、「習い事人気ランキングでいつも上位に位置していて、無難そうだから」ではなく、「水辺で溺死することなく、自然の中に身を置ける人になってほしいから」であれば、四泳法のタイムに固執せず、退会に踏み切ることができるようになります。もちろん、この指標は子どもの意思を否定するものではありません。
子どもの”やりたい”
子どもの意欲については、幼稚園年代であれば「みんながやっていたから、兄弟姉妹がやっているから」という理由で始めても良いと思います。小学生あたりからは「私がやりたい」からといった主体性があるかを観ていきたいです。
しかし、これは性格によるところも大きいため、個別的に判断して良いです。内気な性格の子であれば、大人から「やってみる?」と提示の上、気軽にチャレンジさせてあげて、興味の移りやすい子であれば、1~2か月様子を見て、やる気が変わらないようなら本気かもしれませんので、そこで判断するのも一案です。各習い事で”無料体験”や”1か月体験”などがあればうまく活用していくことをオススメします。
子どもの直感が大事
親が総じて好感触でも、やるのは子どもです。意思を尊重してあげることが、自責的に生きることにも繋がるため、長期的に見れば好ましいです。例外としては、人見知りなどによる「イヤ!」や、自己肯定感が低いが故に「イヤだ…」と口にしてしまう場合には、親も一緒に飛び込んであげることが必要です。
子どもは意外に人を見抜きますので、ご安心ください。体験後の感想で(ポジティブな場合は問題ありませんが)気に入らなかった場合、その理由は、人か施設か内容か、引き出してみてください。発育発達等の都合で言語化が難しい子どもであれば、体験中の様子を観察してみてください。親の頭で教室を”見る”のではなく、子どもの脳内を想像しながら(「あっ、今活性化してそう」、「今飽きたな」など)教室を“観る”ことがオススメです。
習い事の始め方
3つのバランスを取りながら、まずは体験してみましょう。
①家庭の教育方針
成長を期待する専門的なチカラ、副次的なチカラ、非認知能力を整理の上、体験に臨むことで指導者への評価も下しやすいです。
②本人の意欲
キッカケは親であっても、習うのは本人のため、必ず必要です
③現実問題
物理的な距離や、費用、通塾時間、兄弟姉妹の習い事や親の送迎の有無など、支援の持続可能性についても、無理せず検討しましょう。
習い事の続け方
3者(本人・保護者・教室,指導者)の相性で継続を考えましょう。始めるだけの理由は揃っているので、進級も含めたご本人の変化や、兄弟姉妹の状況、ご両親のお仕事の都合や、担当指導者の変更、施設移転などを踏まえて、整理することをオススメします。先々まで固定化したプランニングではなく、毎年度末に調整・更新することが現実的です。
習い事の終わり方
始める時に想定できているとベターではありますが、なんとなく始めても支障はありません。
退会のメドはいくつかパターンがあります。
①目標の達成
水中に浮く、九九を諳んじるなど
②次のステップを目指す
体操を辞めて球技を始める、クラブチームへの加入、中学受験を始めるなど
ここでよくある勘違いとしては、退会に”英断”が求められることはほとんどありません。多くの習い事は「いつでも戻ってきてください」というスタンスのはずです。引っ越しを除けば、再入会も難しいはずはなく、翻って再入会しづらい教室は、人間関係としてあまりよろしくない可能性が高いです。仮に、教室が人気過ぎて、再入会が難しい場合も”人気”とは別の理由で退会を検討しているはずですので、お気になさることはありません。
習い事につぶされるのはアホらしい
とりわけ、人材育成の観点から習い事を捉えると「続けなくてはならない」、「宿題をしなければならない」、「高いパフォーマンスを発揮し続けなければならない」と、いつしか”must”に囲われてしまいます。
また、教育的観点から「追い込まれている経験や、乗り越える経験も大切では」と心配になりますが、本来は方法論に縛られる必要はありません。中学受験でなくても、スポーツや芸術の道で、苦境を乗り越えることを学んでも良いわけです。
成長するための”ツール”に固執して、自壊の道を進んでしまうのは、本末転倒です。直面している苦境を「乗り越えられるか」については落ち着いて対応し続けることが求められます。
なにを習っても、学びつく先は同じ
「文武(ぶんぶ)不岐(ふき)」という言葉をご存じでしょうか。この起源は、孔子の頃に遡り、時代によって解釈は異なります。しかし、弘道館(第9代水戸藩藩主 徳川斉昭 創立)教育の基本精神として残されている原文では、「文武岐(い)れず」と表現されています。「文事と武事の根底はひとつである」という意ですが、現代風に言い換えれば「学問もスポーツも切り離されたものではない」と心の修養的な問題を指しています。
前述までの言葉で言い換えるとすれば、「専門的なチカラは異なるとしても、副次的なチカラや、非認知能力の向上はどの教室でも望める」ことを示しているといえます。
また、いつか母が「(子どもは)好きなことをしたら良いのよ、野球でも、勉強でも、ピアノでも。」と、口にしていたのを思い出します。その真意には”文武不岐”に即したところがあるのかもしれません。つまり、入り口としてはどこからでも構わない。一生懸命に取り組み、学ぶ中で、極めんとした先(行きつく先)はどうせ似通ったものになるのだから、と言いたかったのかもしれません。
「習い事」とは
教育における補助的な役割を果たすものでありながら、子どもの接する大人の母数を増やすことや、教育の目的を達成する(専門的なチカラ、副次的なチカラ、非認知能力を育む)ことにおいて、非常に有益です。
「習い事」から考える教育
教育、人材育成のいずれの観点からの発想でも良いですが、”期待が行き過ぎないように”注意の上、「関わる大人の母数を増やす」ことや、「辞める選択肢を持ち続ける」ことが、子どもの可能性の伸長の上でも、自壊を予防するリスクヘッジを取る意味でも大切です。
習い事は、文武不岐の考えから”何を”よりも、”どこまで”取り組めたかが大切です。また、教育すなわち「未来に希望を見出す自立した大人に育てる行為」の考えからは”誰に”教わるかよりも、”何人”の大人と関われたかが重要です。
これは1人から”10”教わるよりも、3人から3ずつ教わった”9”の方が価値が高い可能性を示唆します。また、Aさんから”1~5”を教わり、B,C,Dさんから”6~10”を教わる場合、相対的にAさんの影響力は大きなものとなりますが、ここで重要なのはAさんからは”(心理的にも)卒業している”ことが大切であるといえます。
習い事は、家庭の教育方針に則り、本人の意欲や現実問題の兼ね合いからお試しからで良いので始めてみましょう。継続については、本人・家庭・教室の相性次第で検討を続け、辞め時については、(多くは年明けから)年度末をメドに考えをアップデートしていくことをオススメします。