3-2 「好き」から考える教育
「好き」は、行動の原動力
子どもの頃に親と粘り強く交渉しながら手にし続けたゲームや、大人になってから早起きを苦とも思わず始めたゴルフといった趣味の類は「好き」だから手に取ってきました。そこには、強敵が潜み、芝や風を読む難しさがあるにもかかわらずです。「好き」は困難や理不尽を越えて、人を動かすチカラがあります。
「好き」と「快」の強化ループ
「興味関心」は行動を起こす始まり、いわば入口にあたり、その出口は「快」または「不快」に至ります。行動の結果として生まれた、小さな“できた”や“わかった”の瞬間、脳内では報酬系が働き(後述します)、“快“が灯ります。この“快”を求めて反復や次の行動が促されます。
こうして「興味関心」は行動を伴う形で「快」へと昇華された時「好き」として集約されます。この「好き」からくる学びや成長のサイクルは、感情的な生き物である人間にとって絶大な影響を及ぼします。
大きく4通りの“快”
人が感じる「快」は大きく4通り存在します。
・ドーパミン系(興奮・達成の快)
・オキシトシン系(つながり・愛着の快)
・セロトニン系(安定・満足の快)
・エンドルフィン系(鎮静・陶酔の快)
これらはいずれかひとつが反応するものではありません。また、同一行動をしていたとしても永続的に同じ反応を示すものでもありません。
絡み合う”快”が”好き”へと昇華・強化する
ドーパミン系の快は、興味や関心を入口に生まれます。「面白そう」「やってみたい」と心が動く瞬間、脳は報酬を予感して快感を生み出し、その積み重ねがやがて「好き」という感情へと昇華していきます。
オキシトシン系の快は、仲間やライバルとの関わりの中で作用します。「やらないと落ち着かない」「もっと上手くなりたい」といった内発的動機が芽生える頃、共に笑い、悔しさを分かち合う体験が、人とのつながりによる安心と充足をもたらします。
セロトニン系やエンドルフィン系の快は、継続の中で育まれます。努力の習慣や達成の余韻が、安定や陶酔の感覚を呼び起こし、心を落ち着かせます。
つまり、「好き」とはひとつの感情ではなく、複数の快楽システムが連鎖しながら強化されていくプロセス。最初の好奇心がドーパミンで点火し、つながりと安定を経て、持続的な幸福、すなわち生きがいへと育っていくのです。
“快”を観る
子どもの”快”がどこにあるのかは、よく観て、聞いてみない事にはわかりません。いずれの“快”に強く反応するかは、人それぞれの個性でもあり、本人が自認できていないことも多く、また言語化が難しくもあります。そして、その子が反応しやすい”快”は可変的・流動的であり、段階的(縦断的)である常時更新型であるため、きわめて複雑なものです。
具体的なシーンで挙げれば、例えばあるお子様がご兄弟姉妹の習い事見学がキッカケで「私もここに通いたい!」と言い始めた時。それはドーパミン系が刺激されたのかもしれませんし、その習い事での人間関係に落ち着きを見出したのかもしれません。
快の得方は、必ずしも前述のような順序・段階をたどるわけではありません。また入会時に感じたその刺激も、いつかは物足りなくなる、飽きる時が訪れることもあります。
「好き」は思い込み
「〇〇さんのどこが好きなの?」と聞かれたとします。真面目なところ、優しいところ、面白いところ。身長や体型、年収や貯金、住まい、家族構成など、”なぜその人を好きなのか”を限定すべく列記したところで、〇〇さん以外にもそれらが当てはまる人は現れてきてしまいます。全世界の人に出逢ったわけでもないのにも関わらず、時に”この人が私にとっての一番なのだ”、”私はこの人が大好きなのだ”と言い切ります。
ここで述べたいのは、言語化には限界があるという文脈ではありません。人が”好き”を説明する時、あらゆる項目を満たしているかの検査をしているのではなく”少なくとも私が強く不安になる要素はなさそう”と思えることや、”再現性高く期待に近いポジティブな感情が湧く”こと、”言語化が難しくとも惹かれているこの感情”を「”好き”と呼称することにしている」という”不確かさを前提とした断定(思い込み)”なのだと考えられます。
「好き」の見つけ方
それはつまり、「好き」のキッカケに当たる興味関心の抱き方ともいえます。しかし脳内で起こる反応を他者がコントロールすることは、技術的にも倫理的にも不可能です。そのため、構造として、ひとつ確実に言えることは”出会っていないものに興味関心は抱けない”ということです。「それって、なぁに?」の瞬間がなければ、興味関心の扉は開きません。
ピアノ、昆虫、短編小説、縄跳び、土いじり、タイピング、落語、紙飛行機etc大人の好みは一旦、脇に置き、とにかく触れる母数を増やし、反応を拾うこと。子どもの「ココロが動いた瞬間」を探します。一見”ハズレ”に見えた体験・経験が、ある日、別の知識とつながり、突然“アタリ”になることもあります。
「好き」を見つける上で、体験・経験の蓄積は間違いなく是です。
「好き」は設計できるのか
興味関心という入口以降でも、100%のコントロールは難しいでしょう。しかし、「好き」を伸長する環境設計は可能です。それは先ほど紹介した4つの快が、脳内で自然に連鎖しやすい場の設計を心がけるということです。
たとえばスポーツ教育の現場では、目的や段階に応じて「Funスポーツ」と「競技スポーツ」という二つの枠組みを設けています。Funスポーツでは、”年少者だから、女の子だから得点を2倍にしよう”などといったルールの改変を許しながらも「楽しい・できた・またやりたい」というドーパミン的な快を中心に、継続を促します。一方で競技スポーツは、野球なら”点差がつきすぎたからコールドゲームにします”、サッカーなら”何点差がつこうと規定時間まで行います”などルールを厳粛に守りながら「努力」「チーム」「目標達成」などの中でオキシトシン的つながりやセロトニン的安定を得る場です。どちらにも共通しているのは、快がなければ続かないという原則です。
「得意>不得意」ではなく、「継続>結果」。この発想を軸に、子どもが自分のペースで喜びを積み重ねられる構造をつくる。それがつまり、“好き”そのものは操作できなくても、“好きが生まれ、深まる環境”は設計できるといえます。
「好き」を支援する時の作法
「好き」を支援するとは、教え込むことでも、方向づけることでもありません。それは、芽を摘まないこと、そして自然に伸びるための土を整えることです。ここでは3点にまとめます。
①評価より観察
子どもの反応は、言葉よりも表情や姿勢に現れます。「これ、楽しい!」の声だけでなく、黙々と取り組む時間や、失敗しても再挑戦する姿勢にこそ“好き”の萌芽が潜んでいます。
②比較より対話
他者との優劣ではなく、「どうだった?」「どんなところが面白かった?」と本人の内側に問いを返すことで、快の記憶が強化されます。この対話が、ドーパミン的な達成快をセロトニン的な安定快へと変換し、「続けたい」という感情を持続させます。
③承認より共有
「すごいね」などの即時フィードバックも大切ですが、好きを育む文脈では「一緒にやってみよう」「見せてくれてありがとう」とプロセスを共にすることが、オキシトシン系の“つながる快”を育てます。そこに安心が生まれ、挑戦する意欲が根づきます。
子どもの「好き」を伸長する場においては、他者が教えるものではなく、安心と好奇心が交差する環境の中で、自ら伸びていくものと考えると立ち回りしやすいです。支援者の役割は、“教える人”ではなく、“整える人”です。
継続に向けた寛容さ
「好き」のサイクルで走り始めても、突如そのレールから外れることもあります。その原因のひとつに、伸び悩み(挫折)があります。伸び悩んでいるその瞬間、子ども達は「努力をしていない」わけではないのです。努力に見合った”快”が得られないことへの、戸惑いや焦燥感に悩んでしまっていることが多いのです。その時、大切なのは「努力の結果」にフォーカスするのではなく「継続の価値」を再確認することです。
冷静になれば、子ども達も気づいています。結果だけがすべてではなく「努力しているのに伸びない」そんな自分を受け入れる寛容さが必要であることを。
またそこに、大人の出番があります。焦って結論を急がず、淡々と“快が生まれる環境”を整えてあげることが大切です。机の高さ、靴のサイズ、鉛筆の太さ、課題の粒度、休憩の入れ方。それらの小さな整えが、子どもの側坐核に届き、行動を支えていきます。
「好き」から考える教育
「好き」は感情でありながら、行動を生み出す力です。人は“好き”だからこそ困難を越え、理不尽さの中でも前へ進もうとします。その背景には、達成の喜びやつながり、安定、没頭といった“快”の連鎖があります。教育の役割は、この快のループを支える環境を整えることにあります。
「好き」は教えられず、与えられず、出会いと経験の中で育ちます。だからこそ、子どもの心が動く瞬間を観察し、対話し、共有することが大切です。評価ではなく継続を、結果ではなく過程を支える関わり方が好ましいです。